2020年06月03日

「美術曲芸しん粉細工」阿部徳蔵

しん粉細工に就いては、今更説明の必要もあるまい。たゞ、しん粉をねつて、それに着色をほどこし、花だの鳥だのゝ形を造るといふまでゞある。

 が、時には奇術師が、これを奇術に応用する場合がある。しかしその眼目とするところは、やはり、如何に手早く三味線に合せてしん粉でものゝ形を造り上げるかといふ点にある。だから、正しい意味では、しん粉細工応用の奇術ではなくて、奇術応用のしん粉細工といふべきであらう。
 さてそのやり方であるが、まづ術者は、十枚あるひは十数枚(この数まつたく任意)の、細長く切つた紙片を一枚づゝ観客に渡し、それへ好みの花の名を一つづゝ書いて貰ふ。書いてしまつたら、受けとる時にそこの文字が見えないために、ぎゆつとしごいて貰ふ。
 そこで術者は、客席へ出て花の名を書いた紙を集める。しかし、客が籤へ書いた全部の花を造るのは容易ではない、といふので、そのうちから一本だけを客に選んで貰ふ。が、もうその時には、全部に同一の花の名を書いた籤とすり替へられてある。
 これで奇術の方の準備がとゝのつたので、術者はしん粉細工にとりかゝる。まづ術者は、白や赤や青や紫やの色々のしん粉を見物に見せ、
『持出しましたるしん粉は、お目の前におきましてこと/″\く験めます。』
 といふ。勿論、しん粉になんの仕掛があるわけではないが一応はかういつて験めて見せる。
『さて只今より、これなるしん粉をもちまして、正面そなへつけの植木鉢に花を咲かせるので御座います。もし造上げましたる鉢の花が、お客様お抜取りの籤の花と相応いたしてをりましたら、お手拍子御唱采の程をお願ひいたします。』
 かういつて、しん粉細工をはじめるのである。普通、植木鉢に数本の枝を差しておき、それへ、楽屋の三味線に合せてしん粉で造つた花や葉をべた/\くつゝけて行くのである。が、これが又、非常な速さで、大概の花は五分以内で仕上げてしまふ。
 かうして花が出来上ると、客の抜いた籤と照合せる。が、勿論前に記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。
 稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。
 話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。
『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』
 一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。
 道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら/\、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。
 五月の、よく晴れたある日であつた。
 横浜は野毛通りの、とある橋の袂へ車をおいて、狐光老はしん粉で花を造つてゐた。
 麗かな春の光が、もの優しくしん粉の花壇にそゝいでゐた。
『こりやあきれいだ。』
『うまく出来るもんだねえ。』
 ちよいちよい、通りすがりの人達が立止つては、花壇の花をほめて行つた。もと/\、算盤を弾いてかゝつた仕事でないのだから、かうした讚辞を耳にしただけでも、もう狐光老の気持は充分に報いられてゐた。そして、『何しろこりや、美術しん粉細工なんだから……。』と、ひとり悦に入つてゐたのであつた。
 と、そこへ、学校からの戻りと見える女生徒が三人通りかゝつた。そしてしん粉の花を眺めると、
『まあきれいだ!』
 と立止つた。そして三人共車のそばへ寄つて来た。女生徒達は、しばらくしん粉を造る狐光老の手先に見とれてゐたが、『ねえ小父さん、小父さんにはどんな花でも出来るの?』
 ときいた。
『あゝ出来るとも、小父さんに出来ない花なんてものは、たゞの一つだつてありはしない。』
『さう、ぢやああたしチユウリツプがほしいの。小父さん拵へてくれない?』
 と一人がいつた。
『あたしもチユウリツプよ。』
『あたしも……。』
 と、他の二人もチユウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで、どんな花だか見当さえつかなかつた。
 といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。
『ようし、勇敢にやつちまへ。』
 と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさに創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこな花であつた。
『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』
 と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけにとられた顔つきでそれを受けとると、
『うふゝ。』
『うふゝ。』
 と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。
 そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら/\車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか/\店の中へはいつて行つた。そして、
『チユウリツプはあるかい?』
 ときいた。
『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。
『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』
 と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。
 さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。
 三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、
『あら、チユウリツプがあるわ。』
 と、急いで店の前へ寄つて来た。
『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』
 と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』
 とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、
『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。
『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』
 狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。
『でもわるいわ……。』
『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。
『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』
 女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、
『ありやあお前、あつちのチユウリツプなんだよ。』と、けろりとしてゐた。
 その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。


「奇術随筆」人文書院 1936(昭和11)年5月
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「奇術師幻想図」 阿部徳蔵

 素晴らしいことって、そうざらにあるもんじゃあないってことぐらい、彼も心得ているんだが……。さてとなって、これという名案も浮かばないと、ついじれったくもなる。しかし何か?何か工夫しなければ、と、また思いなおしては一心不乱に考えつづけている。 うっかりすると、奇術の演技中舞台の上でさえ…。で彼は思わずはっとすることもある。「俺はこの頃どうかしている」 書斎の安楽椅子にうずまり込んでこんなことも言った。もう考えあぐんでしまったのだ。「ないかねえ」「考えつきませんわ」 スターの瑠璃子《るりこ》だった。「君は……」「僕にはとても……」 やはり一座のインド人が頭をかいた。「弱ったなあ」 彼は、書棚から古今東西の奇術書を手あたり次第にひきずり出しては目をとおした。が、これという考案も浮かばなかった。 もう開演の日も近づいている。今度こそは、是非尊敬にあたいする傑作を提出せねばならぬ。と思うと、急に彼は焦だってくる。といって、あせればあせるほど、いよいよ頭の統一を失って、はては、心は、古書へ花ヘカーテンヘ壼へ、荘莫とした空間へ、とりとめもなく分散して行くのであった。(ええい勝手にしやがれ!)彼はしまいに、こんな投げやりの気持にもなる。といった日がもうずいぶん長くつづいていた。
Aミラノ妖女水蓮の葉が暗い池の上で動いた。鯉のはねる音がやかましくきこえる晩である。風にさらわれた雨が、窓のガラス戸へ来て笑った。(笑ってる! たしかに、今夜の雨は笑ってる)ふとこんなことを考えた。と、だしぬけに、「雨が笑いますこと」(おや…)と思った。彼の前に、両手を正しく膝においた女であった。「雨、笑いませんわ。あれは風なのよ」(妙だ! この女には僕の考えていることがつつ抜けに……) と考えたら、「ふふふふふ」 女が笑った。(しかし、雨も笑う。これは吹き上がらせるんだ。花束へ五色の電気をつけて、それから水を…、つまり噴水のからくりにすれば……)「おお美しいこと、五色の光へ水が散って、鍵がおどって、そうすれば水だって笑いますわ」(こりゃあ妙だ、いよいよ……。僕の考えていることがそっくりそのまま女にはわかっている)「ええ、あたし読心術師《マインドリーダ 》……」(出来た。上演のプログラムの中へふたあつ。ミラノの妖女と笑う噴水……) で、彼は、ふと目あたらしい心持でまともから女を見た。見ながら今はふたりっきりだなと気がついたら、急に女の肉体を彼の心が意識しはじめた。と、にわかに、矯笑が女の肩から腰へゆれ出した。「いいことよ。ほんとうに……」(しまった!なんでもわかるんだった) 彼の心が、ちいさくなって眩いたら、急に女の姿態が乱れだして、「いいんですわ。あなたを赤面させたりなんかしないことよ」 さわやかな、その女の声は、花火のように爆笑する窓外の雨の中へ、ガラスを抜けて消えていった。 池畔芝の亭にて、ねころびながら彼はひとりでさとりという人心を看破する妖怪について考えていた。B空へ登る奇術師 横浜港の波を、初夏の浜風が嬢弗と渡って来た。七轡ん慰印臥洋服店の屋根のてっぺんでは、へんぼんと青い旗がひるがえっていた。 太平洋を後ろにして、ニュー・グランド旅館《ホテル》の角を曲がると、左側に雑草のしげった広場がある。みると、雑草の中で、一群の人々が円形にかたまっていた。ふと、好奇心が彼の頭を彼らの上へ突き出させた。 人々の円内では、インド人が奇術をつかっていたのだった。そばには三、四になるやはりインドの子供が奇術師の助手をつとめていた。 彼は人々を押し分けて前列へのり出した。ちょうどマンゴー樹の奇術が終わったところだった。 相当のたくみさで、インド人はインド系統の奇術をつづけていた。 ステッキと指環、ガラス箱の中の玉、踊りをおどる鷲鳥、等等等。 終わると、子供が金属製の皿をさげて人々の前を廻った。感嘆した人々から、銀貨が、およそ時雨ほどは降った。インド人は満悦しつつ人々を眺めていた。 子供が金を集め終わると、インド人は次の奇術にとりかかった。インド人は、かたわらの大きな袋の中へ手を入れると、一振りの剣を引き出して鞘をはらった。つづいて、太い紐の一束を荷物のかげから草の中へほうり出した。 彼には、奇術師の取り出す道具と材料とによって、次に行なわれるであろう奇術の種目がわからねばならぬはずだ。 さて、紐と剣、彼は考えた。しかし何に使用するためだかわからなかった。紐を切ってつなぐ奇術は、古典奇術のひとつである。そしてインド系統に属するものもある。しかし、それにしては紐が長くて頑丈すぎる。剣も、紐を切るためならばあんな仰々しいものは不必要だ。 と、考えていると、インド人は、環状にたばねた紐の一端をとって、ひょいと空へ向かって投げ上げた。と、みるみる、紐の末端が、空間から何かの力で引かれるように、高く高く空中へ登って行った。そうして、紐は、地上から空中へ垂直に立った。紐のはては空のはてへつづいていた。 インド人は、子供に登れと命じた。子供は身軽に紐へ飛びついた。そしてからくり人形のようにするすると紐を登って行った。 彼は、この光景を見て愕然とした。さては有名なインドの紐奇術かなと。 しかしこの紐奇術というのは、インドにあるともあったともいう話だけが、たしかに見たという人もあれば、見たという記事を書いた文献もあって、世界のはてのはてまでひろがっていながら、実際は存在しない奇術である。現代の奇術師や好事家達が、しらべぬいた結果、インドはもちろん、この地上には全然存在しないと断定された奇術である。その奇術が今目前に行なわれようとしているではないか。彼が驚いたのも当然のことであった。 子供は高く高く紐を登った。そしてある高さまで到達すると、突然、その姿は荘洋とした空の中で消失した。 と、ムユ度は、奇術師が抜身をひっさげてしゃにむに紐を登りはじめた。人々は呼吸をつめた。そして空へ登る奇怪な奇術師を仰ぎながら固まってただひとつの石のように立っていた。 やがて空間のどこからか、子供の叫び声が流れて来た。つづいて、血にまみれた子供の肢体がちりぢりに分かれて雑草の上へふって来た。と今度は、奇術師が彼自身重力の法則そのものであるかのように、まっしぐらに空の紐をすべり下りた。 手に握った剣からは、なまなましい血液がしたたっていた。インド人は雑草を分けて、分散した肢体をかき集めた。そのかたわらに立った。そしておごそかに呪文を唱えはじめると、ちりぢりの肢体が動き出して、また元の子供になってしまった。 ああ、やっぱりインドの紐奇術だったのだ。入々の中で、人々の誰よりも驚嘆したのはやはり彼であった。彼自身奇術師であるだけに、そしてこの奇術の存在しない理由を熟知していただけに。人々は、唖然として風のように散った。彼は無生物のように立ちすくんだ。 インド人は微笑を浮かべながら彼のそばへ寄って来た。「びっくりしましたか?」彼は言葉も出なかった。「まだまだ不思議なことがありますよ。私の宿へいらっしゃい」 インド人は、あたり散らばった小道具を袋の中へほうり込むと、それを子供の肩へのせた。「お宿は……?」彼はようやく口をひらいた。「桜山のトンネルのそばなんです」「遠くはありませんね。歩きましょう」 で、三人は、無言のまま支那劇場の前へ出た。次の角を左へ、橋を渡って元町通りへ出た。もう薄暮が迫っていた。 店々では電燈が輝いていた。 三人は、大きな古家具屋の前まで来た。その店では、ベッドの前の安楽椅子へ、若い娘が安閑と腰をかけて往来を眺めていた。その隣はレース店である。店いっぱいにならべられたハンケチの白さの中で、一葉のテーブル掛けがきらびやかな花模様を浮かせていた。「どうです。ちょっと食事をしましょうか」「そうですね」 インド人の返事もまたないで、彼はその隣の骨董店の中へはいって行った。ふたりもその後につづいた。 この店では隅のくらがりに安置された仏像が、襯蓬げあってたえず微笑しつづけていた。上からは、能面がぎやまんのふらすこを見おろしていた。甲胃は、昔日の威容を保ちつつもろもろの商品を脾睨していた。三人は、この雑多な骨董品の間をぬけて、奥の階段から二階のレストランヘ行った。そして、窓際の卓をかこんだ。 彼はインド人と向かい合って椅子へかけた。 ボーイが、コニャックをふたりの洋杯に注いだ。インド人はかなり酒豪であった。 杯を重ねても平然としていた。彼は、洋杯の半分も干さないうちに、もう全身に酔がまわってしまった。「さっきの紐奇術ですが、あれは魔法ですか奇術ですか」 魔法の存在を根底から否定している彼だのに、こんな情けない質問をしなければならないはめになった。「もちろん奇術です」 インド人は鰯鰐として言い放った。「奇術々とすれば種があるんですね」「むろんの話です」「しかし、見たところではどうしても種があるとは思われません。ことにあの奇術は、世界の奇術師と学者とがその存在を否定している現象です」「否定したい人達は否定するがよろしい。が、現在あなたが見たという事実をどう否定しますか」 彼は一言もなかった。見た、見ている、という事実は何ものよりも力強いのだ。が、もしや幻影では、とも彼は考えた。「僕は幻影を見たのではなかったでしょうか?」「幻影?……とんでもないことです。が、もし幻影と思うなら、もう一度ここでやってみましょうか」 インド人は語気をつよめていうのだった。「是非、是非見せてください」 彼は真顔をむけてインド人を熟視した。 インド人は、彼から窓外へ眼を転じると、澄み渡った空を仰いだのである。そして空の一角を指しながら、「ご覧なさい! あの遠い空のはてを。光芒と光を放っている星があるではありませんか。あれは北斗星でしょう」「そうです」「あの星と、今われわれがもたれているこの窓とを、私は、奇術の紐で結びつけます。そして私達ふたりは、奇術の紐にのって、北斗星座のアルファをめがけて飛行しようと思います」 そういうと、インド人は袋の中から奇術の紐を取り出した。そして窓から上半身をのり出すと、ぱっ!紐の一端を星明りの空に向かって投げやった。と、紐のさきは、夜の虚空を一直線に突き進んだ。 インド人は子供をかえり見た。「行け!」 荘重な声であった。 子供は、奇術の袋を肩にかけると、ひらり、紐の上へ飛びのった。とみるまに、影絵のように紐の上を飛んで、その姿は消えてしまった。 インド人は、微笑しながら頑丈な手を、彼の前にさし出した。「では、私の敬愛する日本の奇術師よ! さようなら...」 この一言を後に、身をおどらせると窓外の紐の上へ飛び移った。そうしてわれわれが、北斗!を意識するであろう思想のような速やかさで、群星の乱れ輝く空間を、インド人は真一文字に飛行し去った。 彼の前の洋杯には、まだコニャックがなかば以上残っていた。彼は全身の神経を集中しつつ北方の空に輝く北斗星を睨んでいた。 伝説にしか存在しないインド人の紐奇術を、いかにしたなら舞台の上で表現出来るかについて考えながら……。
【終】

阿部 徳蔵

早大中退のあと奇術一筋の生活を続けた。昭和のはじめには奇術研究の権威として知られ、5年に赤坂離宮で前代未聞の天覧・台覧奇術を行った。神奈川県の藤沢に住んでいたが、19年8月数え56歳で死去。谷崎潤一郎は友人。

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