2020年06月06日

「夜告げ鳥 憧憬との訣別と輪廻への愛について」三島由紀夫

「夜告げ鳥 憧憬との訣別と輪廻への愛について」三島由紀夫

鶏鳴は硫黄いろの朝焼けを告げるけれど
いかにもわたくしは森の突端に棲み
沖のやさしき帆のはらむ擦乱の風、黄金の重き匂にみちた潮風と
端正な距離を支へ、−支へかねつつ  。
いかにもわたくしは夜を告げる。恕したまへ古代の女神、と
夜告げ鳥はさやうに歌った
憧憬と訣別したまへ、美々しき族を従へた王者よ、妃よ
拒まず謐かに、その巻きかへす波のまま沖を忘れ
よし浅き漣の饒舌はひまなくわか運命を語るも
幸多かれ幸多かれと沖津浪の逆巻くところ
深き藍は脹りあふるゝ
かかる海にわたくしは対面した、と
夜告げ鳥はさやうに歌った

憧憬と訣別したまへ、愚昧の民よ、病者よ貧人よ
荒野を汝の中核へ。存在を汝の外へ。
ああ森の奥、滝は明るむ。眩ゆくも遠いそれが
かの海をたちまちに苦しき盈溢へと運ぶや
訣別せよかかる時訣別せよ、と
夜告げ鳥はさやうに歌った

今何かある、輪廻への愛を避けて。
そては海底の草叢が過酷な夏を希ふたが
知りたまへ わたくしを襲うた偶然ゆゑ 
不当なばかりそれは正当な不倫なほど操高いのぞみだ.と
さやうに歌ひ、夜告げ鳥は命じた
蝶の死を死ぬことに飽け、やさしきものよ
輪廻の、身にあまる誉れのなかに
現象のやうに死ね 蝶よ

その時沖なる帆は打傾き
奔情の潮は青く 気高い繁吹か
かがやきながら帆植をしたたりおっる
知られざる航海へと立去った。
その時赫突ともえた森から、
わたくしは告げる、昼の全き刹那のために、と
夜告げ鳥はさやうに、歌って死んだ。
歌った 薔薇は無上の五月に      
  菊はああ 豊饒の秋に、と!
(昭和20年5月)
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三島由紀夫初期作品集『夜告げ鳥』(平凡社)

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三島由紀夫初期作品集『夜告げ鳥』(平凡社)


自決して50年となる2020年、三島作品に改めて注目が集まってる。代表作『仮面の告白』の前に作者自身が企画した幻の作品集があった。

「夜告げ鳥」題で出版予定の自選集は、23歳だった作家にどのような意味を持っていたのか。構成案を忠実に再現した没後50年『夜告げ鳥初期作品集』出来。

版元になる圭文社の経営が傾いて24年に倒産して蔵入りとなった。

「『仮面の告白』を蝶に喩えるなら、『夜告げ鳥』は脱皮し成虫になる以前の、「さなぎ」の段階の三島と言ってよい。脱皮に失敗して死に至る生物も多いという。

 いったいなぜ、版元倒産という事情にもかかわらず蝶は見事に脱皮し、大胆かつ華麗に舞うことができたのか?そしてどこへ向かって翔び去ってゆくのか?すべては「さなぎ」の生態の中に秘められている。

 原稿用紙に書かれた三島自筆の目次案(三島は「目録」と呼んでおり、組版指定の朱もはいっている。三島由紀夫文学館蔵)によれば、本書は評論、詩、小説の3部構成で、小説はすべて、本書企画の時点で雑誌に既発表だったものの再録である。」(本書解説より

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第一部 評論

川端康成論の一方法1125

川端康成氏の「抒情歌」について2630

M・H氏への手紙3139

掌篇小説掌論4045

招かれざる客4649

重症者の兇器5056

相聞歌の源流5764

澤村宗十郎について6574

檀一雄氏の「花筐」について7579

武田泰淳氏の「才子佳人」について8081


第二部 詩

83128


第三部 小説

短篇集131151

恋と別離と152165

婦徳166185

エスガイの狩186200

朝倉201212

菖蒲前213238

贋ドン・ファン記239277


扮装狂281290

バルダサアルの死291

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「第一部評論」に収められた「招かれざる客」や「重症者の兇器」を見ればよい。「招かれざる客」は、「僕はどこにゐてもその場に相応しくない人間であるやうに思はれる」(46ページ)と書き起こされる。「重症者の兇器」では、作家としての自分を軍隊から盗んできた一挺のピストルしか頼れるものがない強盗になぞらえている。ここには時代や社会から疎外された孤独感と、その苛酷な状況と闘ってみせるという必死の思いが滲み出ている。

 私たちは太平洋戦争の終結から23年後までの時期を振り返るとき、つい、あの頃は生活は苦しくても戦争の重圧から解放されて自由だったと考えがちだ。しかし、実態はそれほど単純ではない。特に戦時中、蓮田善明、清水文雄ら雑誌「文芸文化」の同人に愛され、昭和1910月には最初の短篇集『花ざかりの森』を刊行するなど只ならぬ早熟ぶりを誇っていた三島の場合、終戦の報を受けた蓮田が戦地のマレー半島南端のジョホールバルで自決し(その経緯については井口時男『蓮田善明戦争と文学』を参照)、清水文雄も広島に帰ってしまうと、それまでの後ろ盾を失って絶望と焦燥感を身に染みて味わうことになったのだった。『仮面の告白』刊本に挟み込まれた「『仮面の告白』ノート」にはこうある。


この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。

 だが、単に後ろ盾を失ったという事情だけで右のように語るのは大袈裟に見えるかもしれない。実は当時の三島には、もう一つの困難があったのだ。むしろ、こちらの方がより深刻な問題だったと言うべきであろう。それは、戦時中交際していた女性が、昭和215月に他家に嫁いだという出来事である。ところが、その後も三島は彼女と曖昧な交際を続けたのだった。三島の愛読者なら、既に明らかであろう。それは、学習院における級友・三谷信の妹・邦子、『仮面の告白』では「園子」と呼ばれることになる女性との関係であった。なにゆえに彼は結婚を決断できなかったのか?自分がゲイかもしれないという自覚があったからである。ではなぜ、その後も曖昧な関係を続けたのか?ゲイであることを受け入れられなかったからである。しかも、(これは声を潜めて言うべきことだが)人間にとって性とアイデンティティをめぐる問題は、死に至るまでの暴力衝動と分かち難く結びついているという真実から、三島は目を背けることがなかった。時代や社会からの疎外感に加えてこの葛藤が三島を引き裂いていたのである。崖下に横たわる血まみれの遺体はその象徴に他ならない。そして『夜告げ鳥』は、投身自殺者が立ち上がり生き返るための跳躍台となる書物だったのだ。

(三島由紀夫『夜告げ鳥』解説の冒頭部分を引用)

posted by pengiin at 15:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

武田泰淳氏の「才子佳人」について 三島由紀夫

 これは物語の由来記である。物語といふ人工の運命が編み出されるのは、人々か執拗な運命の履行に飽きる時だ。人々はいつも自分たちと並行し、やヽ離れて、はげしい純粋な哀歓か貪歓それ自身の力で生きてゐる領域を夢みてゐる。才子佳人はそこに住む一族だ。彼らはありもしない典型といふ幻に追跡される。彼らは「……であるかのやうに」生きることを強ひられる。運命の履行に飽いた人々によって才子佳人の運命の履行か妨げられるといふ、一種暗示的な悲劇である。

 勇気ある雙卿は叛逆するのだが、人々はその主張を歌かと聞き、物語作者はそれを夢の場面の如く装ふ。彼女は却って、更に一つの物語の中に瓜なにとぢこもる他はないのだ。かうして強ひられてゐたものが生々と虚しい残光を放ちはじめる。あたかも典型か生き、動きだしたかのやうに。
「才子佳人」は介妙に複雑な小説だ。この小説は三重の額縁をもつ。読八をはると自分のまわりにまだ一つ、読みのこした額縁が感じられる。物語作者は一体史震林なのか。否、実は双卿なのか。かういふ人工と自然との鷹揚な馴れ合ひには一方しづかな諦念かくすんで来て、双卿か死なずに突如として転華夫人の死ぬすぐれた結末に到達してゐる。

 「才子佳人」の作者はディレ。ダンディズムを気にしてゐない。作品の構成は転華夫人登場の前後からゆるみ出すか、物語に入ってゆくのに読者に恰かも自分か物語をつくってゆくやうな感興を覚えさせる巧みな曰頭の二、三頁の優婉鯛雅な趣や、きはめて乱れない礼節に満ちた筆致は、今は喪はれた住人の剛彫を見るやうに、輓近の小説をよみなれた‐には感じられた。

(三島由紀夫「人間」昭和21年10月)
posted by pengiin at 13:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする