2009年05月22日

「ありがとうございます」の言葉

「ありがとう」は、「ありがたい」という形容詞の連用形の音便形。
「ございます」は「(状態や動作の継続が)ある」の尊敬語で、「ありがたいことが有ります」の意。「存じます」は「思う・考える」の謙譲語で、「ありがたいことと思っております」の意。


 自分の力や才能・努カによって、ありとあらゆるものが獲得できたのだと思っている人のことを、傲慢と呼びます。控えめな態度をしているとか、そういう表に出てくる態度の問題ではなく、基本的に自分の業績なり生き方をどのように自分自身で考えているかが、謙虚さと傲慢さとの分かれ目になります。

 謙虚さとは、三つの面で表現できるようです。
 一つ目は「思い」心の部分。威張らない、怒鳴らない、怒らない。
 二つ目は言葉、常に「ありがとう」を言い続けること。
 三つ目のは行為、常にトイレ掃除をし続けること。
 
 謙虚であること=実践すること。ありとあらゆるものに感謝をするということ。それは神・仏・守護霊・精霊の方々から大変好まれ、たくさんの支援を受けることができるような気がします。



 「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言った瞬間に、チ〜ンという音がして、『ありがとう』の回数がゼロ」になって宇宙の彼方に消えてしまうようです。
「ありがとう」は心を込めなくてもよいのですが、その「ありがとう」は2万5千回に到達するまでは、どうも不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わない方がよいようなのです。

 そのシナリオを書いているのは「私」です。生まれるところから死ぬところまで、すべて「私」がシナリオを書き、「私」がそのとおりに主演をしている、ということが映画や舞台のように理解できます。
 その「私」のシナリオどおりに舞台装置を設定し、美術監督・舞台監督としてその状況をつくってくださるのが、守護霊という方です、守護霊はただひたすら「私」の書いたシナリオどおりに舞台設定・状況設定・環境設定をしてくださるわけです。

 その一生懸命大汗をかいてやってくださるスタッフに対して、「私」自身がシナリオを書いたにもかかわらず、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を空に向かって言い放ったとき、「私」のために一生懸命やってくれていた守護霊は、とてもつらく悲しい思いをするらしい。
 自分の書いたシナリオを自分の口で論評し、評価し、しかもそれを否定的に論評・評価した瞬間に、私たちに付いて一生懸命やってくださっていたスタッフたちは、しょんぼりしてしまうということです。
 スタッフたちが力を否定され離れたら、結局は自分の力だけですべてのことをこなさなければなりません。問題や障害・障壁・トラブルをすべて自分で解決しなくてはならないのです。人間のカは1ですが、霊体としての(肉体を持っていないエネルギーとしての塊の)守護霊や精霊の力は、何人とか、何億人とか、何兆人というレベルではありません。

 人間が考えられる限りの数の、最高の単位を「無量大数」といいます。「億」の次は「兆」、その次は「京(ケイ)」。さらに、垓(がい)、梯(し)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(たい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議、無量大数で、無量大数は10の68乗になります。
 一つの精霊は、1無量大数人分くらいの人間としての力量を持っているのではないかと思います。そして、無量大数というのは10の68乗ですが、それ以上の単位になったときには、もう神の領域に入って、とても数えられないということで、人間の数えられる最高の乗数が10の68乗(無量大数)なのではないでしょうか。

 精霊の中で最も「私」を好きだという霊が守護霊として付いてくださっているわけですが、その方の力は1無量大数人分くらいあるということが言えます。その支援がなくなったときには、私たちは「私」の力で人生と対峙するしかないのです。

 ですからスタッフたちには常に味方に付いてもらっていた方がいい。そのためには不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わないこと。とても簡単なことですが、あるいは簡単なことに思えるから、逆に簡単に言ってしまうのかもしれません。しかし、宇宙構造からすると、この、簡単に何気なく言ってしまう不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句が、非常に大きな重たいものを持っているようです。
 
 この五戒によって「私」の最大の味方である守護霊に味方をしてもらえなくなり、その支援を頂けなくなる、という点で、大変大きな影響・結果をもたらします。
 この不平不満・愚痴.・泣き言・悪口・文句を言った結果「私」の頭を離れて壁の前でしょんぼりしている守護霊に対し、こちらに戻ってもらう「瞬間の呪文」があります。それは「ありがとう」という言葉です。
「ありがとう」の一言で、しょんぼりして向こうに行ってしまっていた守護霊は、すぐに「私」の頭の上に戻ってきます。そして、今までのことを恨んだり、とやかく言ったりせずに、再び「私」のために一生懸命支援をしてくれ始めます。
 スタッフが支援をしてくださらなくなったこと、あるいはまた戻って支援をしてくださるようになったこと自体も、私のシナリオに入っています。そして,不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言ってしまったことも、実は「私」自身が書いたシナリオの中に入っています。
 ですから、五戒を言ってしまったことで、自分の力ですべてやらなくてはいけなくなったことが分かったその結果として、もうなるべく言わないようにしようと思うことも、「私」にとっての重要なシナリオです。プログラムなのです。
 ですから、言ってしまったことを後悔するよりも、もう二度と言わないことにしよう、と決意することのほうが、建設的であり前向きと言えます。

ありがとうの語源・由来
http://gogen-allguide.com/a/arigatou.html

posted by pengiin at 08:51| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]