2018年09月12日

『神戸』第十話 猫きちがひのコキュ―西東三鬼

 私が戦時中神戸で仮寓したやくざホテルの主人が、肥大豚の如き漢であった事はすでに書いた。

 彼は東京で小金をつくり(いかにして作ったかは後に述べる)自分の故郷に近い神戸の真中に売物のホテルがあったので、契約金を払っただけで、家族とホテルに乗り込んで来たのであった。
 彼と私は前後してそのホテルに住みっいたわけだが、私は若い頃、英国領の植民地に出稼ぎに行ってゐたので、そのホテルの、国籍のはっきりしないやうな外国人や、いづれも一騎当千の酒場の姐御達の中にゐても、アットホームでありこそすれ、とまどふやうな事はなかった。
 それに引きかへ、その豚野郎は、ロビーの隅の暖かいストーブの傍にゐても、頼りなげに自分のホテルの宿泊人達の顔を黙って見廻すだけで、いつまで経ってもホテルの空気に馴染めない模様であった。そして、いつも落ちつかない風で、大きな丸い顔にっいた、これは又不思議な位に小さな眼をキョトつかせてゐた。
 それといふのも、彼には外国語が全然わからなかったし、その上、この国際都市で甲羅を経た女達の会話は、一種の気取りによって日本語脈を離れてしまった言葉で通じ合ってゐたからである。
 彼等や彼女等は、戦時色といふエタイの知れない暴力に最後まで抵抗した。エヂプト人、トルコタタール人、白系ロシャ人、朝鮮人、台湾人そして日本娘達の共通の信仰は「自由を我等に」であった。だから彼等はそのハキダメホテルで極めて行儀が悪かった。そして奇妙な事には、一様にプライドが高かった。奇妙といったのは、これらの外国人達はいづれも国法にすれすれに触れる商売をしてゐたのだし、女達は夜更け、酒場の客をくわへ出して、このホテルは勿論、あちこちのホテルに沈没し
て稼いでゐたからである。

 ホテルの主人は、かういふ止宿人達の気風が、どぅにも理解出来ないのであった。しかもわかる筈だといふ自信があっただけに、尚わからないのであった。
 彼はその当惑を私にだけはかくさなかった。彼がストーブの傍で、始めの頃はボソボソと、終りの頃は最大の誇りと共に語った身の上話はざっと次のやうな先のであった。彼は年少の頃、加古川在の貧しい生家を出て、型通りの立身を夢みつつ東京に出た。東京に着いた時には、当時の金で五十銭玉がI個残ってゐた。その日からあらゆる使用人の仕事を遍歴し、遂に吉原の娼家の妓夫になった。そして彼は売春世界が、彼の念願する「成功」への最も近道であることを発見した。
 二十代の妓夫が、十年後には吉原の妓楼の亭主になった秘密は私には判らない。彼もモの辺の消息は言葉を濁したからである。いづれは、話にも何にもならぬ手段によったにちがひない。そして彼は、志を立てた通りの富を得たが、たまく日本が無謀な戦争に突入し、売春業に黒雲がかかり出すと、いち早くその娼家を転売して、
その金の一部を手金にしてホテルを手中に収めたのであつた。

 彼はその「成功談」に自分で酔って、わざく吉原時代の写真を持ち出して来て私に見せた。それらの写真には、着飾った多くの女郎達の真中に、必ずこの豚野郎が傲然と反りかへってゐた。
 彼はニコニコしながら、それらの写真を姐御達にも見せた。そして彼があっけに取られた事には、同じゃうに男と寝て金を取ってゐる姐御遠は、写真を一枚見る毎に、顔を見合せた。その二つの顔は「フン」といふ顔であって、彼女達は搾取者に対する露骨な軽蔑を少しもかくさうとしなかった。
 そして彼は、何故彼女達がこのやうな反感を現はすのか少しも判らず、先程までの誇りに満ちた大きな醜悪な顔が、忽ち一廻りも小さくなって、ぼんやり自分の部屋に引き下がるのであった。
 彼は止宿人達を扱ふ見当は全然立だなかったが、契約によって手に入れたホテルの財産の扱ひ方にはぬかりがなかった。
 東京に第一次の空襲があってからは、彼は土蔵の中の食器類や客室の調度
でも、少し上等なものは遠慮なく引き上げて、毎日のやうに田舎の生家へ迎び去った。

 これを見た女達は、ホテルを自分の家と心得てゐるだけに、持ち前の侠気が承知せず、例によって「センセ」即ち私の部屋にどやどやと押しかけ、一割の手金だけでホテルを乗取りながら、ホテルの備品を持ち出すのは怪しからんから何とかしてくれといふのである。そして一様に「パパさんが可哀さうだ」といふ。このパパさんなる人は、白髪の老支配人で、元の持主の義弟、善良なること神の如き人物、いつも閑な時には金槌を持って女達の部屋々々を廻るので、あだ名がヨセフ。これはいかにも神戸らしかった。姐御達は威勢はいいが皆父親運が悪いから「パパさん」の愛称には心がこもってたのである。

 私もこの老人が好きであった。しかし、法律のことは知らないし、まして契約書がどうなつてゐるのかも判らないので、折角の姐御達の正義感をウヤムヤに葬ってしまつだので、その後は大いに信用を失墜したやうであつた。実のところ私も、愛用してゐた揺り椅子を運び去られた時には。豚野郎と一戦を交へようかと思ったのであるが、老支配人の顔を見ると、忽ち勇気がくじけたのでめった。
 元吉原妓楼の亭主、今はとまどひつたホテルの持主は、かくして私達止宿人一同の反感を一身に集めてゐたのであるが、私だけは或る日、或る事を目撃してから、反感は反感ながらいさ&かの憐みのやうなものが湧くやうになった。
 このホテルの止宿人で、男性(日本人)は伝染病院の院長と私だけであることは前にも書いた。ところが或る日、眉目秀麗といつてもいいやうな東京の青年がフラリと現はれそのまま私のやうに止宿人になってしまった。彼は全く仕事らしいものを持たず、いつも炊事場に入りびたるやうになった。そして、炊事場にはご全くもったいない三十位の妻君が、いつもニコニコしながら働いてゐたのである。元々このホテルの客達は、部屋で食事するのは私位のもので、あとは時をかまはず炊事場の一隅の卓子で食事をした。だから、美貌の妻君につきまとふ東京の美青年のことが、女達の眼を逃れ得る筈はなかった。そして青年の評判は悪かった。それといふのも、この美男子の目標は妻君一人であって、他の十数人の自認美人達には眼もくれなかったからである。

 他の事ならとにかく、国際都市の選抜された美女が、一顧にも値せぬといふ態度をされては、姐御達は心平らかでゐられなかった。まして、神戸の酒場の女達は、東京の男性に、理由のない魅力を感じる傾向があったから、やがてホテルには妖気を含んだ陰火がチロチロと燃え出したのである。
 東京青年の素性は、彼が止宿してから一ヶ月たった或る日、私服憲兵の来訪によって明らかとなった。
 その時、私はたまくカウンターで彼と東京の話をしてゐたが、彼をホテルの使用人と感ちがひした憲兵が、何某といふ東京の男が宿泊してゐないかと、本人の青年に訊ねたのである。彼は支配人に尋ねてみませうといひながら、実にしづかに歩み去った。そして、私服がいつまで待っても出て来なかったのである。さすがに怪しんだ憲兵が、あれは番頭ですかと私に問ふので、客であると答へると「しまった」と叫んで奥へ走り込んだが、このホテルの奥の方は、御同伴の便を計って、戸口がいくつもあるので、青年はそのままずらかってゐた。彼は召集を受けながら東京を脱走してゐたのである。

テルに帰り。又元のやうに炊事場のマダムにへばりっき出した。おどろいた事には、その後憲兵は彼を放置してかへりみなかった。当時の神戸はスパイがウヨくしてゐて、このハキダメホテルも大きくマークされてゐたから、私服憲兵は毎日のやうに来たが、よほど重大事件に追ひ廻されてゐるとみぇ、一人の脱走兵はおめこぼしにあづかり、いつも炊事場で油を売ってゐた。
 水商売の、ど真中で苦労したホテルの主人が、自分の愛妻とこの青年との事に気がっかぬ筈はなく、彼はやがて、嫌ひな炊事場に大きな図体を定着させ出した。
 しかし、彼は女房に対して、愛情の他にもよほどの弱点を握られてゐるらしく、遠慮ぶかく卓子に頬杖をついて、男と女の方ヘチロくと眼を放つだけであった。そして、男と女は平然として談笑してゐた。
 私はその頃から、元女郎屋の亭主のこの男を、別の角度から見るやうになったのだ。
 彼は、炊事場の女房からうるさがられて追ひ出されると、ロビーの外人や、外人同様の日本娘の仲間にも加はれず、倉の前の石段に腰かけて、十匹あまりの猫を相手
ゐて、持ち前の吝嗇は猫にだけはあとかたもなく消え、止宿人のエヂプト人マジツト・エルバ氏のもたらす、何物とも知れぬ生肉を買って猫共に食はせた。彼が二十貫以上もある巨体に、女郎屋時代の楼名入りの浴衣をだらしなくひっかけて廊下を歩くと、大小、色とりどりの猫共が、おみこしをかつぐやうに一団となって移動した。そしてその猫共は全身蚤の巣であった。私はこの猫きちがひと猫共に身の毛のよだっ嫌悪を感じてゐたのだが、今や、女房を盗まれて、フランス人のいふ、コキュとなり果てた亭主の、人に云へない苦悩の姿は、滑稽ではなくて哀れであった。それといふのも、私か同棲者波子の、片時も油断の出来ない性状に、ほとほと手を焼いてゐたからであらう。

 自分の愛する女を盗まれた男ほど哀れなものは世にあるまい。まして、その女を憎悪出来ぬほどに、その後も愛してゐる男は、自分を呪ふより仕方がないだらう。彼は相手の男を誘惑者と思ひたい。しかし、女が自らを与へなければ、このやうな事態は起らぬ事を知ってゐる。かくして、この巨大なる「寝取られ男」は、昼も夜も、女房の姿が見えないと、ホテル中を探し廻るやうになった。十匹の猫共にに取りまかれながら。
 彼にとっては、B29の編隊が次々に都市を焼きつくしてゐて、やがてその順番が神戸に廻って来ることも恐怖ではないやうであった。

 私の同棲者波子は、かういふ亭主の狂乱の姿に腹を立てて、それまで仕事のやうにしてゐた、猫の蚤取り作業をキッパリと止めてしまった。彼女には亭主の未練が我慢がならないのであった。そして、さういふ彼女の批評に、懐疑的な返答をする私にも腹を立てた。
 私はといへば、嫌悪し、軽蔑した男に対して、彼が「寝取られ男」になり果ててからは、いっのまにか彼の中に、男性の哀れだけを感じ出した事に気がついて狼狽するのであった。
 空襲は、私達の予想通り大阪をI凪めにした。神戸が次の都市である事は誰でも知ってゐた。その神戸の真中、このホテルの、美貌の青年の部屋の前で、或る夜更けに、私は大きな図体の亭主が鳴咽する声を聞いた。人間が泣くと猫共も鳴いた。私の足は重かったが、捨ててもおけず亭主の傍にゆくと「女房が〜」といひながらドアを指さした。

 私達は、その翌日、山の手に引越した。
 まもなく神戸は灰埴に帰して、ホテルは倉だけを残して焼けてしまった。
 余筒が収まってから倉の厚い扉を開けたら、扉の内側には、十匹の猫が折り重なって死んでゐたといふことである。
 亭主はホテルが焼けてからは、女房と彼女の愛人とを連れて生家に引き上げたが、一ヶ月もたたない或る日、大混乱の列車のデッキから誰かに突き落されて惨死したといふことである

 この「神戸」の登場人物の大方は、戦争前後に死んでしまふのだが、これは私が特に死んだ人のことばかりを書かうとしたのではない。ひとりでにさうなってしまったのである。何故さうなったかは私には判らない。ただ一つ判っていることは、私かこれらの死者を心中で愛していることだ。

《俳句・昭和31年6月号》連載終了


西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1 日)岡山県出身の俳人。

日本歯科医専卒。本名、斎藤敬直。新興俳句運動の中心となるが、京大俳句事件で検挙。戦後「天狼」「断崖」を創刊。句集「夜の桃」、随筆集「神戸」「続神戸」など。


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