2020年05月27日

「水になりたい!」

透明なストローを通して美術室に響く

スー、スーという私の呼吸音。

語りかけても返事がないのなら

こうして息で呼びかけてみよう。

(彩る意味を見いだせないこのからだ。

「お前に色なんて似合わない」

そう告げている教室のドアをわかってると引き裂いて、焼けつくような紅を求めた。古いパレットを、確かめるように開いてみるけれど、何度見てもそこには私しかいない。それは、雨の中でひっそりと服を脱ぐ少年の藍)

色に奪われた私の息吹が

画用紙の上で生き返る。

水になって吹きのびていく。


この水脈のたどりつく先が

誰かの渇いた左胸であれば、

私もまた、取り戻せるものがある。

取り戻すための入り口が

まぶたの裏に見えてくる。

「水になりたい!」

風に紛れて、雲をめざし駆けのぼる私。


文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』より

(思潮社、20091025日発行)


posted by pengiin at 17:25| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「美について」サマセット・モーム

 長いあいだ私は、人生に意義を与えるのは美のみであり、地球上に次から次へと出現する各世代に与えるべき唯一の目標は、時々でいいから芸術家を世に送り出すことだと、考えていた。芸術作品は人間の活動の頂点に立つ産物であり、人間のあらゆる悲惨さ、終わりなき労苦、裏切られた努力もこれによって遂に正当化される、と考えていた。〔中略〕それのみが人生に意味を与えうる芸術作品の中に美しい生き方も含めることで、私はこの極端な考えを後になって修正したけれど、それでもなお私が尊重しだのは美であった。しかし、このような考えを、私はかなり以前に全て放棄してしまった。

9F27F292-2E45-419F-A70A-6A500685A2D5.jpeg


 第一に、美は終止符だと分かった。美しいものを見ていると、私はただただ感心して眺めているしかないのだった、それか与えてくれる感動は素晴らしいか、感動は持続しないし、無限に感動を繰り返すことも出来なかった。それで、この世の最高に美しいものも結局私を退屈させた。試作品からならもっと長続きする満足が得られるのに気付いた。完璧な出来ではないので、却って私が想像力を働かせる余地があった。あらゆる芸術作品の中で最高の作品においては、あらゆるものが表現されているので、私か出来ることは何もない。そこで私は落ち着きを失い、受身で眺めているのに飽きてしまう。美は山の頂上のようだと思った。そこまで辿り着いたら、後は下りるしかない。完璧というのはいささか退屈である。誰もが目標としている最高の美は完璧に達成されないほうがいいというのは、人生の皮肉の中でもかなりひどいものだ。


 人は美という言葉で、審美感を満足させる額神的ないし物質的なもの「大抵は物質的なものだが」を意味していると思う。だか、これでは、水が意味するのは濡れたもの、と言うに等しい。〔中略〕私が気付いた奇妙なことは、美の評価には永続性がないという点だった。どこの美術館へ行っでも、ある時代の最高の目利きが美しいと判断したのに、現代の我々には無価値と思える作品で一杯である。私の生涯の間でも、少し以前まで最高とみなされていた絵画や詩から、美が日の出の太陽の前の白霜のように蒸発するのを見た。〔中略〕得られる結論はただ一つ、美は各時代の要求に関わるものであり。我々が美しいと思うものを調べて、絶対的な美の本質を探すのは無駄だということである。美が人生に意味を与える価値の一つであるにしても、それは常に変化しているものであり、それゆえ分析できない。

〔中略〕

私か言うのは、美を眺め鑑賞するのが人生の主たる仕事である人のことである。この連中には、尊敬すべき点ははとんどない。虚栄心が強く、自己満足の輩である。人生の実務的な仕事には不向きであり、経済的な理由から地味な仕事を黙々としている人を馬鹿にする。自分はたくさんの本を読み、たくさんの絵画を観たからというので、他の人より偉いと思っているのだ。現実から逃避するために芸術を楯にし、人間の生活に必要な活動を否定するために平凡なものには何であれ愚かしい軽蔑の目を向ける。麻薬常用者並みというか、いやもっと悪い。麻薬常用者なら、お山の大将になって仲間の人間を低く見たりはしないから。芸術の価値は、神秘主義者の考える価値と似て、どんな効果があるかにかかっている。単に楽しみを与えるというのであれば、どれほど精神的な楽しみであっても、あまり価値はない。せいぜいIダースの廿町とIパイントのモンラシェ酒くらいの価値しかない。もし美が癒し効果を持つなら、それはそれで結構。世の中は回避できない悪ばかりだから、人が一休み出来る避難所みたいなものがあれば有難い。ただし、悪から逃れるのではなく、休んでから力を盛り返して悪と対決しなくてはならない。というのは、芸術が人生における大きな価値の一つであるのなら、人間に謙虚、寛容、英知、雅量を教えるべきなのだ。芸術の価値は美でなく正しい行為である。


 美が人生の大きな価値だというのなら、美がそれを味わうことの出来る美的感覚を持つ階級のみの特権だというのは信じがたいことだ。エリートだけが分かち持っている感性が人生の必需品だと主張するのは変だ。だが、美学者はそのように主張する。白状するが、愚かな若造だった私は、芸術(そこに私は自然美も入れていた。これも絵画、交響曲と同じく、明確に人が作ったものだと思っていたし、今もそう思う)が、人間の努力の最高の成果であり、人間存在を正当化すると考えていて、芸術が分かるのはエリートだけだと思うと、言うに言われぬ満足感を覚えたものだった。その後、かなり以前からこの考えは変だと気付いている。美が一部の人の専有物だとは信じられない。特殊な教育を受けた人にしか意味を持たないような芸術作品は、それを好む一部の連中と同じく、くだらないと思いたい。芸術は皆が楽しめる作品である場合にのみ偉大であり、意味を持つ。一部の限られた一派の芸術は遊びである。ところで古代芸術と現代芸術の間にどうして区別をつけるのかか、私には分からない。あるのは芸術のみであるのに。芸術は生き物である。芸術作品の歴史的、文化的、考古学的な曰く因縁を考察することによって、作品に命を与えようとする試みは無意味である。ある彫像を作ったのが古代ギリシヤ人であろうと現代フランス人であろうと、そんなことはどうでもいい。大事なのは彫像が今ここで人に美的感動を与え、感動によって人を仕事へと駆り立てるということである。もし芸術作品か、自己耽溺や自己満足の機会を与える以上のものであろうとするのなら、人の性格を強め、人を正しい行動に一段と適するようにさせなくてはならない。とすると、そこから得られる結論は、私の好まぬものだが、次のように認めざるを得ない。即ち、作品は成果によって価値を問われるべきであり、成果が上がらなければ価値はないのである。芸術家がよい成果を得るのは、成果を狙わないときだという。


 このことは事実として認めるしかないらしいが、奇妙な話であり、私には何故だか不明である。芸術家は、彼が説教していると気付いていないときに最も印象的な話をする。ミツバチも自分の目的のためにロウを作るのであって、人間が様々な目的に利用することには気付いていない。


サマセット・モーム『サミング・アップ』行方昭夫訳(岩波文庫)76章「美」より


posted by pengiin at 09:00| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

『死んだらどうなるのか? 死生観をめぐる6つの哲学』伊佐敷隆弘(亜紀書房)

あなたはどの「死後」を望みますか?

だれもが悩む問題「死後はどうなる?」を宗教・哲学、AIについての議論を横断しながら対話形式で探究する。

宗教と哲学の知見を駆使して古今東西の6つの死生観を検討した先に、答えはみつかるか。

A82136D0-9AEE-4766-8638-904E76007761.jpeg

【本書で検討する6つの死生観】

他の人間や動物に生まれ変わる。

別の世界で永遠に生き続ける。 

すぐそばで子孫を見守る。 

子孫の命の中に生き続ける。

自然の中に還る。 

完全に消滅する。

A91342EC-9462-40E3-805C-566A2EDA1E1A.jpeg99211FCD-D93F-472C-8A7F-2ACE35FEFAB8.jpeg
posted by pengiin at 13:00| 東京 ☔| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

入沢康夫『季節についての試論』

入沢康夫『季節についての試論』

季節に関する一連の死の理論は 世界への帰還の許容であり青い猪や白い龍に殺された数知れぬ青年が 先細りの塔の向うの広い岩棚の上にそれぞれの座をかまえて ひそかに ずんぐりした油壷や泥人形 またとりどりの花を並べ 陽に干していると虚しく信ずることも それならばこそ 今や全く自由であろう 支配者の遺体を模して束ねられた藻や藁を焚き こうすることで 古い春と その記憶を追い立て 生命と受難の観念を あえて声高に語ることによつて いつそう深く地中に埋め 窒息させ 二度と生え繁ることのないようにと しきりに祈る彼らであつてみれば 彼らは 当然 世界の屍臭を むしろ身にまとうに足る芳香であるとことさらに誤認し 見せかけだけの儀式の力で この卑劣な狂躁を永遠のもの 地表を蔽ううまごやしとおなじく 四季による消長はありながらもついに不滅な 一つのいとなみとしようと欲するが この作られた愚かさ この水平な堕落は 単なる偶然の所産 あるいは 監視者の怠慢としてかたづけること

はできない(1965年)

posted by pengiin at 16:00| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ザリガニの鳴くところ』Where The Crawdads Sing ディーリア・オーエンズ(早川書房)

D7468C3D-1745-494A-8348-51A1823AFAC0.jpeg

『ザリガニの鳴くところ』Where The Crawdads Sing ディーリア・オーエンズ(早川書房)


この少女を、生きてください。 

全米500万部突破、2019年アメリカでいちばん売れた本 


泣いたのは、森で一人ぼっちの彼女が、自分と重なったからだ。──同じ女性というだけで。島本理生氏(小説家

ずっと震えながら、耐えながら、祈るように呼んでいた。小橋めぐみ氏(俳優

素晴らしい小説だ。北上次郎氏(書評家、早川書房公式note流行出し版「勝手に文庫解説2」より

http://www.webdoku.jp/column/radio/2020/0314212254.html


ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。 

6歳で家族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。 

以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。 

しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく…… 

みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。


51074A27-0C22-4462-B351-6E11F4B7919A.jpeg

ディーリア・オーエンズ

ジョージア州出身の動物学者、小説家。ジョージア大学で動物学の学士号を、カリフォルニア大学デイヴィス校で動物行動学の博士号を取得。ボツワナのカラハリ砂漠でフィールドワークを行ない、その経験を記したノンフィクション『カラハリ―アフリカ最後の野生に暮らす』(マーク・オーエンズとの共著、1984)(早川書房刊)が世界的ベストセラーとなる。同書は優れたネイチャーライティングに贈られるジョン・バロウズ賞を受賞している。また、研究論文はネイチャー誌など多くの学術雑誌に掲載されている。現在はアイダホ州に住み、グリズリーやオオカミの保護、湿地の保全活動を行なっている。69歳で執筆した初めての小説である 


友廣純 立教大学大学院文学研究科博士課程中退、英米文学翻訳家。

posted by pengiin at 13:00| 東京 🌁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月20日

とても私や人の力では……

荒川洋治「春と子供」 


お茶をのんでいる子 

どこの子だろうか 

新しい服を着て 

おでかけのときも 

おとなのお茶のそばで  

おとなの話をきいて言う 

「とても私の力では…… 


でも夕方には一人で 

ぼんやり まだおさまらない 

友だちのことを考えている 

おませな子 子供はみな 

昔はおとなだった  

そんなようすをしている子 

春の野山は水が走り  

いたずらに暗い 

傷つけあう夜はきれい 

「とてもひとの力では…… 


荒川洋治(アラカワ・ヨウジ)

現代詩作家 1949年生まれ。2017年、『北山十八間戸』で鮎川信夫賞

posted by pengiin at 09:00| 東京 🌁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月15日

何も言わなければ

生きてるだけで
面倒をかけてしまう
何も言わなければ
友達が傷つき
何か言えば
自分が傷ついてしまう
 
僕ははしくれ
まだほんのすこし
かじっただけ
れもんは酸っぱく
めろんは甘い
余計なことをまたいった
口がすべりやがった
角が立ち
誰かと気まずい
もう御免だ
これ以上
誰かにきらわれるのは
これからさきも
この繰り返し
 
僕ははしくれ
まだほんのすこし
しゃぶっただけ
また誰かに傷つけられる
容赦なく
唾を吐く
あぁ痛い
ほんとうに痛い

辻仁成「はしくれ」
中学生二年の教科書に載っている詩
posted by pengiin at 06:04| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

「I was born」吉野弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。


 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。


 女はゆき過ぎた。


 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

――やっぱり I was born なんだね――

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

――蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――

 僕は父を見た。父は続けた。

――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。


 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。

I was born」は、1952(昭和27)年11月の『詩学』に投稿されました。このとき吉野弘は26歳。投稿をはじめて2作目の詩です。1詩集『消息』所収、全24篇のうち20番目に置かれています。『消息』は、1957(昭和32)年51日に「自家版」として100部を刊行。同年81日に150部を再版しました。謄写刷り、本文54ページ。B5判よりやや小さめの大きさでした。発行所は「谺詩の会」、非売品。

posted by pengiin at 03:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月10日

『3匹の子豚』 Three Little Pigs

三匹の子豚は民間伝承によるおとぎ話。出版は18世紀後半にさかのぼり、物語そのものはもっと古くから存在していた。

1933年のウォルト・ディズニーによるアニメーション映画「シリー・シンフォニー」の『三匹の子ぶた』で広まった。

859ABFB4-06E0-432F-8254-CA0C17F859D2.jpeg

「3匹の子豚が、それぞれ、藁と木と煉瓦の家を建てるんだ。オオカミがやって来て、楽して建てた藁の家を吹き飛ばして、木の家も吹き飛ばすんだけど、危機に備えて頑張って作った煉瓦の家は吹き飛ばせなかったってお話し、いい話しだよね?」


12E8ECE1-0CE2-4267-A5F3-43B68D25A9E7.jpeg

http://e-freetext.net/3pigsj.html

備えておけば、憂いはない。オオカミは災害とも経済ともとれる。


  • ものを作る時は、手早く仕上げるよりも、時間や手間をかけた方が、安全なものとなり、いざという時に役に立つことがある。
  • もの作りに限らず、勤勉な人間であるほど、最後には大きな結果を残し頂点に立てる。

  • 88FCFAE7-C5D0-4D61-9AE5-23C12C6FAAC6.jpeg

Three Little Pigs

http://www.pitt.edu/~dash/type0124.

posted by pengiin at 07:00| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月09日

『安保 徹の免疫力を上げる45の方法』

『安保 徹の免疫力を上げる45の方法』

簡単な方法であなたも病気知らずになれる41の方法を紹介します。食材パワーで免疫力をアップ、副交感神経を優位にする食品、病気を防ぐ食習慣、体を温める運動で免疫力アップ等、免疫力を上げて健康になれるコツが満載。免疫力セルフチェックテストつき。


@ 酸味・苦味・辛味のある食材をとる

A 体を温める食材をとる

B 腸内環境を整える食材をとる

C 目回し体操、やってみる

D 爪の生え際にあるツボ井穴(せいけつ)を押す

E 体温+4度の入浴習慣を取り入れる

F 睡眠リズムを整える

G 笑うこと

H 自分を縛りすぎないこと(ルール・常識など)

I のんびりし過ぎないこと

posted by pengiin at 14:45| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月07日

「橋をわたる時」新川和江

「橋をわたる時」新川和江

 

向ふ岸には

いい村がありさうです

心のやさしい人が

待つていてくれさうです

のどかに牛が啼いて

れんげ畠は

いつでも花ざかりのやうです 

 

いいことがありさうです

ひとりでに微笑まれて来ます

何だか かう

急ぎ足になります

 

(「新川和江詩集」ハルキ文庫より)

34968DF3-8FBD-4A3D-AC0A-D590A7185AA3.jpeg

この文庫本詩集はとても愛着ある作品が、作者本人から選ばれているようです。
心に染みる良い詩が一冊の中に、様々な年代から収録されてます。
posted by pengiin at 15:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

麦が意味すること

一粒の麦もし地に落ちて死なずば、

ただ一つにてあらん、

死なば多くの実を結ぶべし

「イザヤ書5316 ヨハネによる福音書122026」

posted by pengiin at 10:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

言葉の力を発する短歌4句

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 

身捨つるほどの 祖国はありや

(寺山修司)


なにもかも 派手な祭りの夜のゆめ

火でも見てなよ さよなら、あんた

(林あまり)


教室のいつもと反対側の席選ぶ日

なにか さあ、殺さねば

(林あまり)


目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った(木下侑介)

posted by pengiin at 11:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

「祝婚歌」吉野弘 暖かい言葉

「御祝い」はある種の錬金術みたいで、「結婚」という儀式と実際は作品制作や料理などにも当て嵌まる。吉野弘さんの、立派過ぎないほうが、いい詩が好きです。


「祝婚歌」吉野弘


二人が睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派過ぎないほうがいい


立派過ぎることは

長持ちしないことだと

気づいているほうがいい 


完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと

うそぶいているほうがいい


二人のうち どちらかが

ふざけているほうがいい

ずっこけているほうがいい


互いに非難することがあっても

非難できる資格が自分にあったかどうか

あとで疑わしくなるほうがいい


正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと

気づいているほうがいい


立派でありたいとか

正しくありたいとかいう

無理な緊張には色目を使わず

ゆったりゆたかに

光を浴びているほうがいい


健康で風に吹かれながら

生きていることのなつかしさに

ふと胸が熱くなる

そんな日があってもいい


そしてなぜ 胸が熱くなるのか

黙っていてもふたりには

わかるのであってほしい


(詩集『風が吹くと』1977年収録作品)

+++++ +++++ +++++

「民謡というのは、作詞者とか、作曲者がわからなくとも、歌が面白ければ歌ってくれるわけです。だから、私の作者の名前がなくとも、作品を喜んでくれるという意味で、私は知らない間に民謡を一つ書いちゃったなと、そういう感覚なんです」

「いいお話ですね。『祝婚歌』は結婚式場とか、いろんなところからパンフレットに使いたいとか、随分、言って来るでしょう。 ただ、版権や著作権がどうなっているのか、そういうときは何とお答えになるんですか」(早坂)

「そのときに民謡の説を持ち出すわけです。 民謡というのは、著作権料がいりませんよ。 作者が不明ですからね。こうやって聞いてくださる方は、非常に良心的に聞いてくださるわけですね。だから,そういう著作権料というのは心配はまったく要りませんから...」(吉野)

〜『人生の達人たちに学ぶ〜渡る世間の裏話』早坂茂三編・著(東洋経済新報社刊)より


「お父さんが

お前にあげたいものは

健康と

自分を愛する心だ。」 奈々子に

確かに自分を愛することを忘れると

他人まで愛せなくなる。

posted by pengiin at 13:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月23日

ジョルジュ・サンドの名言集

愛しなさい。

人生で良いものは

それだけなのですから。」


「人生をあるがままに

生きよう。

そして、感謝を

忘れないように。」


「陽気でいよう。

それが肉体と精神にとって

最高の健康法になる。」

ジョルジュ・サンド(George Sand/1804年7月1日-1876年6月8日/女性)

フェミニストとしても知られるフランスの女流作家。本名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)。1831年にジュール・サンドー(Jules Sandeau)との合作で処女作『Rose et Blanche(薔薇色の雲)』を発表し、翌年に発表した『Indiana(アンディアナ)』で注目を集める。1840年代に入ると政治志向を強め、アラゴ、カール・マルクス、ミハイル・バクーニンなどの政治思想家・活動家と交流。女性権利拡張運動を主張するとともに文学作品の発表を続け、ヴィクトル・ユーゴー、フローベール、テオフィル・ゴーティエなど多くの文学者と交友した。

(参考文献・出典:ウィキペディア+Amazon.co.jp書籍紹介情報)


作品

主な作品に『薔薇色の雲(Rose et Blanche)』『アンディアナ(Indiana)』『レリア(Lelia)』『モープラ(Mauprat)』『フランス遍歴の職人(Le compagnon du tour de France)』『オラース(Horace)』『マジョルカの冬(Un hiver a Majorque)』『コンスエロ(Consuelo)』『魔の沼(La mare au diable)』『ルクレツィア・フロリアーニ(Lucrezia Floriani)』『孤児フランソワ(Francois le Champi)』『愛の妖精(La petite Fadette)』『笛師の群れ(Les maitres sonneurs)』『わが生涯の歴史(Histoire de ma vie)』『彼女と彼(Elle et Lui)』などがある。

posted by pengiin at 10:00| 東京 ☔| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

『フランス田園伝説集』ジョルジュ・サンド(岩波文庫)

『愛の妖精』など,田園を舞台にした数々の名作で知られるサンド(1804−76)は,また民間伝承のすぐれた採集者でもあった。
 狼使い・森の妖火・いたずら子鬼・巨石にまつわる怪・夜の洗濯女といった,彼女が居を構えたフランス中部ベリー地方の農村に伝わる口碑・伝説を集めたのがこの一書。フランスの『遠野物語』と言うべき貴重な作品。

    まえがき
 人間が地上に現われたときから、いたるところで存在してきた、この物語性と驚異性とをもった名もなき詩、いまこそそれに名前を与えなければならない。それは、さまざまな形で語りつがれながら、いつの時代にもあらゆる人の詩的想像力の表現だったのだ。
 夜の精霊や幻をめぐる田園の伝承についての研究はそれだけで厖大な大著となるだろう。泣き叫ぶ無数の死者の亡霊を狩りたててゆく悪霊の忌まわしき姿が、民衆の想像の中に現われないようなところがこの地上にはたしてあるだろうか?(民衆の想像とはナなわち、消えかかったり、あるいは変質したりした共同の思い出に他ならぬ)。平和や戦争やペストや絶望が支配したところに、人間の歴史のさまざまな時に、それは通過していったのだ。生えいずる麦は人の死体に根を下ろした。人の死体は畑を肥やした。歩いてゆくところいたるところに廃墟があり、血があり、瓦榛がある。
〈中略〉
 それに調査を行なうものには同一の伝承の類話がいかに数多くあるかは注意してもしたりない。鐘塔ひとつごとに、いや一族ごとに、家一軒ごとに固有の伝承がある。この多様性こそが口承文芸の本質なのだ。田園の詩は素朴な音楽と同じく、人の数だけ演奏家を持っている。
 私は不思議なことが好きなだけの封肌の難いことである。それに私か書いているものが現地で採集した伝承を集成る文集であることは忘れるわけにはいかない。
 〈中略〉 
 私たちの地方の田舎の伝承においても、フランス中どこにでもみられる、あのゴワ精神一封駁とによって味づけされた、特色と色彩は見出される。それは恐怖とガリア人の楽天気質の寄せ鍋であり、異常な空想の綾である。
それが留まることを知らぬ奇想のただ中にも顔を出し、精神的な真実性を求める心のあらわれである素朴な象徴性を賑やかにする。
〈中略〉
 この地方の伝説の中にはドルイド教以前の思い出が保たれているようにも思われる。おそらくそれはカベイロス神の名残りである。考古学者はそれをキムリス人刄とたちがこの地にやってくる以前であろうとしている。人身御供の祭式は恐ろしい思い出としていくっかのイメージにその痕跡をとどめているかと思われる。動き出す死体とか、手足のない亡霊とか、頭のない人間、身体のない手や足、そういったものが、このあたりの荒地や、古い小径にいっぱいうごめいている。
 そのあとに、もう少し整理された中世の迷信が来る。それもまた身の毛のよだつものではあるが、すでにして滑稽物語に転化ナる傾きをもっている。教会のロ了不スクやゴシックの彫刻の中では架空の動物が醜怪な顔を歪めている。それらが墓地や廃墟のまわりを唸り声をたてながら徘徊しつづける。死者の魂が家々の戸を叩きにくる。悪徳を擬人化したさまざまな異様な妖怪が、大騒ぎを演じながら風を切って嵐の雲間を通りすぎる。過去という過去がよみがえる。
死によって消え去ったはずの人間や動物までが、声を発し、動きと姿をとり戻ナ。人が作っておきながら、乱暴に扱って壊した家具が、腐った脚で立ちあがり、きしみ音をたてる。岩石までが立ちあがって、脅えた通行人に語りかける。夜の鳥が、死の時を告げて恐ろしい声で歌いだす。つねに鎌をふるって徘徊する死も、地上では一時的なものでしかないかのように見える。そのような伝承の中で、すべての生きとし生けるものは虚無に抵抗し、驚異の世界にのがれる。
 そして夜の闇を不吉な明かりで照らしだし、宙に浮いた首や、不思議な言葉で夜のしじまを賑わす。
 img026.jpg
『フランス田園伝説集』ジョルジュ・サンド(岩波文庫)



posted by pengiin at 10:21| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月20日

詩を回復するための詩ルネーシャール

『相反する動き』ルネ・シャール

そこにあるきみたちの肉に従いたまえ。
ぼくはそこにないぼく神々に服従する。

「私はペシミストではないが、神も信じていない。
神なんか存在していない、といって存在しているものは、この肉体だけでもない。
神秘がある。神秘、つまりパロルこそ存在している唯一のものだ。わたしはただそれだけに従う」


『ひばり』ルネ・シャール

天空のはての輝く、それから日の初めの熱さ、
雲雀は夜明けの光のなかに嵌めこまれたまま、
騒めき動く地を唄う、
吐息の巧べな共鳴者、
そして進む道からは自由なもの、
魅了するものよ、感嘆しながらも
人はおまえを殺してしまうのだ。


ルネ・シャール(René Char、1907年6月14日 - 1988年2月19日)
フランスの詩人。シュルレアリスムの運動に参加した時期もあり、1929年「兵器廠」を出版。’30年ブルトンやエリュアールとの共著で「仕事を遅らせる」を発表。第二次大戦中は南仏で対独レジスタンスの指導者として活躍。ギリシャの哲人ヘラクレイトスの思想の影響を受け、戦後は生命感と人間同志の信頼感溢れる独特の宇宙的世界を繰り広げた。代表作に詩集「砕かれた詩」(’47年)や「恋文」(’53年)等がある。
posted by pengiin at 15:00| 東京 ☔| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月18日

人間の最高善について

フィチーノの人間観は魂は肉体に捕らえられている。

人間の肉体と魂の一部である五感などは動物と共通だが、理性と知性を持つ点で異なるものだ。理性は五感から受け取った物事を分析、判断して、想像力を働かせる能力となっている。

C219127E-9D4D-4E7D-BEF0-D7127B8FEF45.jpeg
知性は直接真理イデアに到達して、神の領域に近づく能力。
この意味で人間は動物と神の中間として、様々な葛藤に苛まれる不安定な存在だが、理性によって現世で正しいことを行ない、知性によって真理と一体化するできる。
『ピレボス注解―人間の最高善について』ルシリオフィチーノ(アウロラ叢書)より
posted by pengiin at 13:00| 東京 ☀| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月17日

『人工楽園』ボードレール (岩波文庫)

個性を倍化する手段たる酒とアシーシュとの比較」「人工楽園―阿片とアシーシュ―」「アシーシュの詩」「阿片吸飲者」「補遺」の5篇収録。

20FBC5F0-5A03-47C1-A7D0-EAF6E71A5E85.jpeg

「胡桃くらいの大きさの分量のアシーシュを取って小さな匙に容れれば、諸君は幸福を所有することになるのだ。絶対的な幸福であり、それには、あらゆる陶酔と、その一切の若々しい狂乱と、またその無限の法悦とが具っている。」


現実から遠ざかる手段として十九世紀の文人たちを魅了した酒、ハッシシ、阿片・・・。象徴派の巨人が神をも恐れぬ陶酔と覚醒のなかで、その効果と害毒を冷徹に見つめる書簡。


「普通に考えてみましても、この地上の物象の存在は、極めて薄弱なものであり、真の現実は夢幻のなかにのみあるのです」


ボードレール[18211867]フランスの詩人。象徴派の先駆者。詩集「悪の華」で近代人の孤独・苦悩をうたい、近代詩に革新をもたらした。ほかに散文詩「パリの憂鬱」、美術評論「ロマン派芸術」など。

posted by pengiin at 13:05| 東京 ☁| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月13日

プレヴェールは詩の内容を個人的な心境に限定しない

「枯葉」ジャック・プレヴェール〔高畑勲訳〕


ああ!思い出しておくれ

ぼくたちが恋人だったしあわせな日々を、

あの頃 人生は今日よりももっと美しく

太陽はもっと輝いていた

枯葉はシャベルで集められる....

ほらね ぼくは忘れていないよ、

枯葉はシャベルで集められる

思い出も未練もおなじこと

そして北風はそれらを運び去る

忘却の冷たい夜のなかへと、

ほらね ぼくは忘れていないよ

きみが歌ってくれたあの唄を


それはぼくらに似合う唄

きみは ぼくを愛していた

ぼくはきみを愛していた

そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に

ぼくを愛していたきみと、

きみを愛してたぼくと、

けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く

やさしくそっと

音もたてずに

そして海は消し去る 砂の上

別れた恋人たちの足跡を


枯葉は積もる うずたかく

思い出も未練もおなじこと

けれどもぼくの愛は 黙ったまま忠実に

いつも微笑み 人生に感謝する

ぼくはきみをうんと愛し きみはとてもきれいだった

どうやてきみを忘れろっていうんだい

あの頃 人生は今日よりももっと美しく

太陽はもっと輝いていた

きみはいちばんやさしい恋人だった....

だけど ぼくは未練に用はない

そしてきみの歌っていたあの唄が

いついつまでも ぼくに聞こえてくるだろう


それはぼくらに似合う唄

きみは ぼくを愛していた

ぼくは 君を愛していた、

そしてぼくらは暮らしていた ふたり一緒に

ぼくを愛していたきみと

きみを愛してたぼくと、

けれども人生は 愛し合う仲を引き裂く

やさしくそっと

音も立てずに、

そして海は消し去る 砂の上

別れた恋人たちの足跡を。


〔高畑勲訳〕


《「枯葉」はまず映画の中の唄である。そしてプレヴェールの詩にしばしばあらわれる「ぼく」は、プレーヴェール自身のみを指すわけではない。プレヴェールは詩の内容を個人的な心境に限定するつもりはまったくなかった。

1958年、エディット・ピアフのために書かれた「心の叫び」(アンリ・クロラ作曲『おはなし』より)で、プレヴェールは自分の歌が自分だけのことを歌っているのではないことを表明するが、同時に、苦痛や苦悩は、ある時間と距離を置くことによってそれが美しい想い出の姿を取るまで待たねばならないことをも語る。


 歌うのはただぼくの声だけではない

 それはほかの人たちの声だ たくさんの声だ

 情け容赦なくぼくは自分の涙を踏みつぶす

 ぼくはその宣伝をやらないよ

 

 もし個人的な悲しみのために

 非常警報器を引っ張ってしまったら

 列車は走ることなど出来やしない

 そしてぼくは景色を眺める

 もしたまたまそれがひどく醜いなら

 ぼくは待つ それがある美しさを取り戻すのを》

高畑勲『ことばたち』(ぴあ株式会社)

別冊「解説と注釈」P89〜90より

フランス詩人が日本のアニメーションに影響を根底へ与えている証言。



プレヴェールの詩にジョゼフ・コズマが曲を描いたシャンソンには、枯葉、バルバラのほか様々にある。

美しい星へ(A la belle étoile)/二匹の蝸牛葬式に出かける(Deux escargots s'en vont à l'enterrement.....)/ 鯨釣り(La pêche à la baleine)/朝の食事(Déjeuner du matin)/庭(Le jardin)/夜のパリ(Paris at night)/愛し合う子どもたち(Les enfants qui s'aiment)/魔性 驚異(Démons et merveilles)/看守の歌(Chanson du Geôlier)/書取り(Page d'écriture)/子どものための歌、冬(Chanson pour les enfants l'hiver)/校門を出たら(En sortant de l'école)/外国の祭(Fête foraine)/血だらけの唄(Chanson dans le sang)/目録(Inventaire)/鳥の絵を描くために(Pour faire le portrait d'un oiseau)/五月の歌(Chanson Du Mois De Mai)/昼も夜も(Le Jour Et La Nuit)/パテル・ノステル(Pater Noster)/歌(Chanson)/手回しオルガン(L'orgue de barbarie)/劣等生(Le cancre)/祭(La fête)/演奏会は失敗だった(Le concert n'a pas été réussi)/はがねの娘(Fille d'acier)/いい朝(Un beau matin)/寓話(Fable)/心配の鳥(Les oiseaux du souci)/鳥刺しの唄(Chanson de l'oiseleur)/そして祭は続く(Et la fête continuePresque(殆ど)/絶望がベンチに座っている(Le désespoir est assis sur un banc)/Cet amour(この愛)/割れた鏡(Le miroir brisé)/ひまわり(Tournesol)/Les bruits de la nuit(夜の音)/主顕節(Epiphanie)/大きな赤い(Immense et rouge)/ノックしている(On frappe)/子供狩り(Chasse à l'enfant)/美しい季節(La belle saison)/私はわたしよ(Je suis comme je suis)/庭(Le jardin)など多数。


小笠原豊樹さんが翻訳された詩集の解説で、詩人の谷川俊太郎さんが「惚れた弱み」と宝物のように絶賛されております。

posted by pengiin at 10:40| 東京 ☔| Comment(0) | 図書と文庫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする